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【本】 Archive

リトル・プリンセス エジプトのアイシャ姫

リトル・プリンセスも7巻目ですね。「エジプトのアイシャ姫」を読みました。

あいかわらず想定読者層からははずれまくってますが(^_^;)
正直に言うと、スフィンクスのなぞなぞに答えられませんでした(^^ゞ
あとはあれですね、猫好きな人はいいですね。最初のほうでプリンセスがロージーに猫をわたす場面がお気に入りです。あのセリフ、なんてことないセリフだけどなんか好きです。
それと姉姫さまにちょっと萌え(*^_^*)

途中の巻で読んでないのがあるから、ダンボールの中から発掘しないと・・・。

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SETI@home

SETI@home とは ?
SETI@home は、インターネットでつながったコンピュータが、地球外知性の探索(SETI)を行う科学実験です。 参加して行うことは、無料配布されるプログラムを走らせて、電波望遠鏡で採取したデータをダウンロードし解析することです。

SETI@home の科学
SETI(地球外知性の探索)は、地球外の知的生命を検出することを目標とする、科学の一分野です。 このうち、radio SETI(電波によるSETI)として知られる手法では、電波望遠鏡を使って宇宙からの挟帯域電波信号に耳を傾けます。 このような挟帯域信号は自然に発生するものではなく、もし検出できたなら、地球外テクノロジの存在の証拠になるでしょう。

電波望遠鏡で受信した信号のほとんどは雑音からなっています。 (天体を源とする雑音もあれば、受信機の電子機器から生ずる雑音もあります)。 そのほかにに、人間が発した信号、たとえばテレビ局やレーダー、人工衛星などの信号も混ざっています。 現代の 電波による SETI プロジェクトは、受信データをデジタル処理します。 計算処理の能力がたくさんあれば、 より広い周波数に渡ってより高い感度で探索ができるようになります。 そういうわけで、電波による SETI は計算能力を果てしなく求めます。

いままでの 電波による SETI プロジェクトでは、大量のデータ解析をするために、電波望遠鏡の近くに設置した特殊用途スーパーコンピュータを使っていました。 1995年に David Gedye が、インターネットで互いに繋がれた多数のコンピュータによって構成される仮想スーパコンピュータを使って、電波による SETI の計算処理をすることを提案しました。 そして彼は、 SETI@home プロジェクトを組織し、この着想を追求したのです。 SETI@home のそもそもの開始は、1999年の5月でした。

ということで、このプロジェクト自体には2000年から登録していたんですが、この1年ほどクライアントソフトウェアを走らせてなかったので、久しぶりに新しいバージョンのソフトをダウンロードしてインストールしました。
PCの性能が低かったころは結構負荷が大きかったですが、いまのスペックだと特に問題ないですね。
コミュニティとしてチームというのもあってチームごとのデータ解析数を競ったりもしているのですが、まあそんなに肩肘はるようなものでもないので。ちなみに「Yen-e JAPAN」というチームに参加しています。
もともとSF好きなので、こうゆうプロジェクトはすごく応援したくなります。

SETIをメインテーマとして扱ったSF小説としてはカール・セーガンの「コンタクト」がありますね。この小説はもう価値観が変わってしまうくらいのすごい内容なので、一読をおすすめします。映画(ジョディ・フォスター主演)にもなったので、そっちのほうがお手軽かな? かくいうぼくもかなり昔に読んだきりなので、もう一度読んでみたいと思っているのですが・・・。DVD借りてこようかな・・・。


↑クライアントソフトの実行風景。

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きのう?おとといかな? 朝夢を見て目を醒まして、なぜか急に涙が出てきまして・・・。
夢の内容はよく覚えていませんがそんな悲しいようなものでもなかったと思うし、最後に覚えている場面もそんな雰囲気ではないので、嗚咽するほど泣いてしまったことにびっくりしてしまいました。

で。
こういう激しい感情になったときにいつも思い出す小説があります。

山田太一という脚本家がいらっしゃいまして、ドラマの脚本などもされていて「ふぞろいの林檎たち」とかが有名ですが(ぼくは見たことがないのですが・・・)、彼の書いた小説にファンタジー3部作と呼ばれている作品があります。ファンタジーといってもラノベ的なものではなく、現代日本を舞台にして、現実と異世界(?)との交流を描いたものというか・・・説明がむずかしいですね(^_^;)

『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を探して』の3作ですが、たしかその3作目『遠くの声を探して』のなかで、「ほんとうの感情とはどんなものか?」という問いかけがでてきます。いま激しいと感じている感情は「本当の」感情の大きさに比べて本当に激しいものなのだろうか?世の中には自分の感情がほんの誤差でしかないほどの大きな感情が存在するのではないか? といったものですが、これまた説明が(^_^;)

この小説を読んでから、怒りや悲しみといった感情に耐性ができたというか寛容に接することができるようになった気がします。自分の感じている感情なんてまだまだたいしたことない、って感じで。

なんだかよくわからない文章になってしまいましたが、おすすめの小説ですので興味をもたれたかたはぜひどうぞ~。
ちなみに新潮文庫からでています。

参考リンク:アポリア9号「山田太一ファンタジー小説のフィルム的メタファー」

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